Blog Page
This is the blog page description.
string(5) "zh-tw" string(93) "/home/xs291993/kokuho-gojo.com/public_html/wp/wp-content/themes/kokuho-gojo/config/zh-tw.json" array(3) { ["title"]=> string(9) "Blog Page" ["description"]=> string(34) "This is the blog page description." ["image"]=> string(22) "path/to/blog-image.jpg" }
This is the blog page description.
島根県にある国宝・松江城は、宍道(しんじ)湖畔の亀田山に築かれた平山城です。1611年に堀尾氏によって築城された天守は、2015年に国宝に指定されました。天守の外観は4重、内部構造は5階、地階1階の構造で、入口に附櫓(つけやぐら)を設けた複合式望楼(ぼうろう)型天守に分類されます。外壁の多くは黒色の下見板張りで、随所に狭間や石落とし、石打棚などの防御装置を配置。内部には井戸や塩蔵を設けるなど、実戦を強く意識して築かれています。
松江城には、全国に現存する天守で唯一、天守内に井戸があります。現在は半分埋められていますが、かつては24メートルの深さがありました。また、天守では珍しい便所も完備。籠城戦を想定し、1カ月はしのげる造りになっているんだとか!まさに防衛要塞のお城です。
松江城が国宝に選ばれた決め手の一つが、その特徴的な構造。築城当時、全国で多くの城が同時に造られており、心柱という大きな柱を作る木が不足していました。そのため、松江城では心柱を使わず、308本ある天守の柱のうち96本は、長さ2階分の短い通し柱を配置。全国でも珍しい構造が採用されました。
「天狗の間」と呼ばれる天守最上階には壁がなく、周囲に高い建物もないので城下町を360度展望することができます。当時は、敵の監視や攻撃に備えるための司令塔としての役割もあったそう。晴れた日には美しい宍道湖を一望できるので、歴代の松江藩主たちもきっと眺めたであろう松江の景色を、殿様気分で楽しんでみては?
兵庫県にある国宝・姫路城。黒田官兵衛や羽柴秀吉、池田輝政ら名だたる武将が城主を歴任してきました。日本で現存する最大の城郭建築であり、巧妙な縄張りや多様な石垣、連立する大天守・小天守、櫓(やぐら)、門などの全てに、日本の城の魅力が凝縮されています。1993年には奈良・法隆寺とともに日本で初めて世界文化遺産に登録。2015年には5年半もの歳月をかけた「大天守保存修理」を終え、グランドオープンを迎えました。姫路城の特徴でもある「連立式天守」と白漆喰の美しさが多くの人を魅了し、その優美な姿から別名「白鷺城」とも呼ばれています。
姫路城の天守は、中心の大天守を守るようにして、3つの小天守と4つの渡櫓(わたりやぐら)がつながれた「連立式天守」の構造。これは防御性が比較的高い形とされ、圧倒的な存在感を放っています。大天守内は実際に見学できるので、訪れた際はそのスケールの大きさを肌で感じて。
遠くからでも目を引く、まばゆいほどの白漆喰(しろしっくい)。木地を白漆喰で完全に覆う「総塗籠(そうぬりごめ)」の手法で塗り上げることで、築城当時普及していた火縄銃による延焼を防ぎました。城の各所には大軍の侵攻を防ぐ仕掛けが隠されており、実際に見学することで“守りの城”としての実用性を体感することができます。
大天守に飾られた11尾の鯱(しゃちほこ)。鯱は火よけの守り神として、城郭建築に取り入れられています。阿吽(あうん)で一対になっており、口を開けた「阿」が雄、口を閉じた「吽」が雌だとされていますが、姫路城の鯱は全てが雌。これは、雌の鯱しか現存しておらず、修理などの際に雌を見本にして作り替えているからだそう。
滋賀県にある国宝・彦根城。徳川家康の命により彦根藩井伊家三十五万石の礎として、1604年から約20年の歳月をかけて、琵琶湖のほとりにある彦根山(金亀山)に築城されました。現在もなお、お堀に囲まれた緑豊かな城山の中に、3重の国宝天守が堂々と雄姿を誇っています。天守のほかにも櫓(やぐら)や門、塀、石垣など、世界的にユニークな江戸時代の政治の仕組みを示す文化財が多く残る彦根城。それらの城郭景観は、城下町周辺からも見ることができ、私たちに江戸時代の趣を感じさせてくれます。
彦根城の天守は、湖南地域の大津にあった大津城を移築したもの。大津城の天守は関ヶ原合戦の籠城戦でも落城しなかった「縁起の良い天守」であり、徳川家康の指示で彦根に移されたと伝えられています。3階3重の屋根で構成されており、大きな飾り屋根を複雑に組み合わせたデザインが特徴です。
彦根城の北東に位置する玄宮園は、江戸時代の絵画のままの景色が残る大名庭園です。池の中島にはさまざまな形式の橋が架けられ、景観を楽しみながら回遊することができます。江戸時代には、美しい景色を楽しむだけでなく、藩主と家臣が茶の湯や武芸を実践する場所でもありました。
彦根城の中堀より内側には、表御殿や玄宮園をはじめとする、領地を治めるための政治や儀式などを行ったいろいろな施設が多数残っています。その数はなんと日本で一番多く、どれも良い状態で保存されています。彦根城を見れば、それだけで江戸時代の政治の仕組みを知ることができます。
愛知県にある、室町時代の1537年に築城された国宝・犬山城。現存する中で日本最古の様式を誇る天守を有します。大河・木曽川のほとりにある小高い山の上に建てられ、高さ約50メートルの断崖絶壁で守られていることから、「後堅固(うしろけんご)の城」と呼ばれています。天守最上階からの眺めは絶景です。江戸時代には中山道と木曽街道に通じ、真下を流れる木曽川による交易の要衝として栄えました。幾多の戦乱では織田信長・豊臣秀吉・徳川家康ら三英傑がこの城を奪い合ったことも。震災などの歴史の荒波をくぐり抜け、今に伝わっています。
望楼(ぼうろう)型の天守最上階には、周囲を確認できる回廊が。犬山城下町をはじめとする町の様子を一望することができます。その様子はまさに絶景!天気が良い日には、美しい木曽川の眺めや御嶽山、岐阜城、名古屋駅ビルなどを望むことができます。
築城当時の木材が現在まで多く残されている犬山城。国宝の名にふさわしい、歴史を刻んだ古木材の温もりをぜひ体感して。城内では歩くとミシミシと床が鳴る音や、長い時間の経過で生じた隙間など、五感で犬山城の歴史を感じ、楽しむことができます。
天守の東方に、櫓(やぐら)に囲まれた杉の木があります。この杉は犬山城よりやや背が高かったのですが、伊勢湾台風の際、落雷で枯れてしまったそう。それ以降、地元住民は「杉の木が犬山城の身代わりになってくれた」として、しめ縄をして祭っています。
長野県にある国宝・松本城は、5重6階の天守が現存している日本最古の城です。天守は1593~1594年に造られたと言われ、壁面の上部を白漆喰(しろしっくい)、下部を黒漆(くろうるし)塗りの下見板で覆うことで、白と黒の対比が絶妙な美しさを醸し出しています。戦国時代末期に完成した天守には、その後世の中が落ち着いた寛永年代(1624年~1644年)に月見櫓(つきみやぐら)が増設。天守と月見櫓が一体になった城は全国で松本城のみで、時代によって天守の意味づけが変わってきた様子をみることができます。
松本城の魅力の一つは、美しい景観にあります。漆喰の白と漆の黒のコントラストが織りなす天守の凛々しさもさることながら、北アルプスの山々を背に城がそびえる姿は、松本城でしか見ることができません。訪れた際には、その圧倒的なスケールを目に焼き付けて。
松本城では、例年12月から2月までの期間、毎日18時~21時にレーザーマッピングを実施しています。光と音に彩られた美しい松本城が、お堀の水面に浮かび上がるように見える様子はまさに絶景。普段とはまた違った幻想的な姿から、松本城の新たな魅力に出合えます。
松本城の周囲は湧き水が豊富で、「まつもと城下町湧水群」として「平成の名水百選」に選定されています。松本城のお堀の水も、この湧き水を利用。市内を流れる水路は、江戸時代から庶民の生活用水や防火用水として重要な役割を担い、現代でも市民の生活に潤いを与えています。